薔薇に抱かれ

第三章『白銀の魔人』


宇宙空間に浮かぶ円筒形のスペースコロニー内の端と端を縦断するべく作られ
た中央ハイウェイを颯爽と一台の紫に塗られた派手派手しいジープが猛スピー
ドで他の車を追い抜いて行く。助手席に乗る銀髪の長い青年は屋根のない車へ
容赦なく吹き込む風に自身の美しい銀髪が乱されるのを手で押さえながら運転
席の男性に話しかける。
運転をしている男は助手席の青年の声が聞こえない様子で、ただ前方の大型ト
レーラーを追い越すことしか頭にないようである。
青年の銀髪が男の視界に入ると同時に青年の髪を離れた右手が男の肩に触れら
れた。そして初めて男は助手席の青年が自分に向けて意識を投げ掛けているこ
とに気がついた。ハイ・トーンな女性歌手の歌声が大音量で流れるカーステレ
オのボリュームを絞り終えると、ジープのドライバーである男ブライキン・ブ
リッツインガーは銀髪の美しい青年レイ・ミマに振り向いた。

「ブライキン、もう少しスピードを落としてくれませんか。急ぐ必要などない
のですから」

「あっ? おう、すまん」

言うや否や前方を走るトレーラーを追い抜く為、ハンドルを持つ右手に少しの
力を加えた。車高の高いジープは必要以上に大げさなローリングをした。ブラ
イキンはバックミラーにトレーラーを確認すると僅かばかりにスピードを落と
しただけである。この男はかなりのスピード狂なのである。

「レイ、スピカってガキの居場所は、わかってんのか?」

「ええ、既に見つけてありますよ」

「それならなんで連れて来なかったんだよ」

「彼女にも事情があるみたいですよ」

レイはクスッと笑うと、ハイウェイ沿いのビルの屋上に設けられた広告宣伝用
の大型ディスプレイに映し出されている女性歌手をしばし眺めた。その昔、ア
イドル歌手として地球圏で絶大な人気を誇り、ジオンの歌姫と呼ばれた実力派
シンガーである。その映像にはジオンの歌姫と呼ばれていた頃のあどけない少
女の面影はなく成熟しきった大人の女の色気を携えたピンクのターバンで髪を
アップにした美少女シンガー、その彼女と絡み合いながら赤いエレキギターを
弾く、ジオンの歌姫にも引けを取らない艶やかさ、そんなオーラを身に纏い、
巷で流行のジオン公国軍のモビルスーツ【ザク】の頭部をデザインしたモナ帽
を被った美少女の姿もあった。ライブコンサートの映像なのだろう。ブライキ
ンのジープから流れる歌声はディスプレイで熱唱する彼女そのものである。
やがてハイウェイから見える景色はビルの建ち並ぶ市街地から美しい森林地帯
へと変わって行った。数分の間、草木の香りが漂う気持ちの良い空気を感じた
後、無機質な壁に覆われたコロニーの心臓部へと繋がるトンネルに入る。空気
は生暖かく屋根のないジープで走るにはよろしくない。不快感がレイの体に纏
わりつく。ブライキンはお構いなしにタバコに火を着けだした。

「私の車で来れば良かった」

ボソっとレイは愚痴をこぼした。

「あ〜、なんか言ったか?」

トンネルの中は轟音にも関わらず、今のレイの呟きは、かすかに聞こえたよう
である。
トンネルに幾つかの分岐道が現れ出した頃、レイの携帯通信器が電波を受信し
たのか小さな光を点滅しだした。

「ブライキン、エリア6の分岐トンネルへ進入して下さい」

レイは手に持つ通信機に表示された地図に視線を落としながら、ブライキンに
話しかけた。

「あいよ」

ブライキンは返事をするとアクセルを踏み込んだ。

――だから、スピード出し過ぎ……。

この男に何度言っても無意味である。レイは言葉にするのを止めた。
まもなくしてエリア6へと続くトンネルの案内標識が現れた。
ブライキンがその標識を見た気配がないのをレイは感じて話しかけた。

「ブライキン、もうすぐですよ、トンネル」

「え? あっ、おう」

トンネルの中は三車線ある。ブライキン達の走る車線からエリア6のトンネル
へ進入するには二車線を跨がなくてはならないがその二車線にはすでに何台も
の車両が走行し、割り込む余地などなく、二人のジープのスピードとエリア6
のトンネルまでの距離を考えると、そこへ進入するのは無理に思われた。
レイは半ばあきらめてブライキンに別のルートから行くよう言いかけたが、体
が左右に大きく振り回されたので言葉を発することが出来なかった。
それもそのはず、ブライキンはアクセルを踏み込むと方向指示器も出さずに強
引に二車線を走る車両の間を縫うように走りエリア6のトンネルに飛び込んだ。
普通の人間の運転技術なら間違いなく事故を起こしてしまうだろうが、この男
は平然とそれをやってのける。サーキットを走るレース・ドライバー顔負けの
ドライビング・テクニックである。

「ブライキン! 危険ですよ! 他の車が事故でも起こしたらどうするつもり
ですか!」

「あ〜? 事故? してないぜ」

「…………」

レイは呆れて喋るのを止めた。そして心底ブライキンのジープから下りたいと
思った。
さほど走らずしてトンネルの終点に着いた。ここから車両はエレベータにてエ
リア6に運ばれることになる。ジープは徐行してエレベータ前にあるゲートに
近づいた。エリア6内部に入るにはゲートに居る検察官の検閲を受けてからに
なる。それからでないと蟻一匹でさえエレベータに乗ることは許されない。
ゲート横の小さな建物から二人のセキュリティー・ガードマンらしき大柄の男
達が歩み寄ってきた。

「失礼ですが、エリア6にご用ですか?」

ヘルメットを被り、肩から小型のサブマシンガンをぶら下げた男達はどうみて
もただのガードマンには見えない。愛想笑いが嫌みなその内の一人が尋ねてき
た。レイは頷くと胸ポケットからカードらしきものを取り出し、目つきの鋭い
もう一人のガードマンが差し出す左手の上に載せた。それを指先で回転させる
とガードマンは黙って建物の方に歩いていった。
二分程して残っていたガードマンの持つハンドレシーバーが鳴った。

「結構です」

ガードマンが言うのと同時にゲートが足下に下がって行く。
ブライキンはジープをゆっくり前進させて、エレベーターになるであろうフロ
アの上に車を停車させた。ゲートが足下からせり上がって定位置で止まる。
エレベータは彼らを乗せるとゆっくりとコロニーの階層を下っていった。
紫と真っ赤なファイヤーパターンに塗り分けられたジープのボンネットに腰を
掛けて、タバコを吸うブライキンはフロントガラスの向こうにいるレイに問い
かけた。

「何階層まで下りるんだ?」

エレベータの四方に壁はなく各階のフロアが下から上へ移動していくのが見て
取れる。いやブライキン達が移動しているのである。

「最下層までですよ」

「なあ、レイ」

「はい。なんですか?」

「ここって、なんの施設なんだ?」

「コロニーの全管理システムはここに集中されています。いわばコロニーの心
臓部です。またこの区画にはコロニー公社の実験ラボなどがあります。それら
に携わる研究施設といったところでしょうか」

「ふーん、コロニーの中に住んでるわりには知らないもんだな。おっ、止まっ
た」

エレベータが最下層に到着したようである。

「さて、ここから真っ直ぐにこの通路を走ってNo.7と書かれた扉の前で止
まって下さい」

「よし、行くか」

ブライキンはエレベータから一直線に繋がる通路をゆっくりとジープを走らせ
た。
先程のハイウェイ・トンネルと比べると幅も高さも三分の一程度しかない空間
が真っ直ぐに続いている。さすがにブライキンもここではアクセルを必要以上
に踏み込みはしない。
少しばかり走ると前方から小型のエレカ(施設内専用電気自動車)が走ってき
た。

「レイさま〜」

エレカの助手席に乗る女性が叫んでいる。
ブライキンはブレーキを掛け止まった。

「なんか、あの女、お前のことを呼んでんじゃないのか?」

ブライキンがレイに問うた。

「…………」

「おい?」

「……はい」

「って、おい来たぞ」

エレカが近づき、女はその助手席を飛び降りるとすぐさまレイの腕に縋り付い
た。

「レイさま〜、逢いたかったよ〜」

「ええ、ひさしぶりですね」

レイは言いながらも困惑を隠せない表情を浮かべた。
その有様をブライキンは快く思わないでいるのか、自身のジープを急発進させ
た。

「きゃあっつ」

女は悲鳴と共にレイの腕から離れ、その場に尻餅をついた。

「ブライキン! 危ないじゃないですか!」

流石に物静かなレイもこの時ばかりは大声を出した。

「あっ、すまん」

ジープはすぐにブレーキを掛けて止まる。
そこより3mばかり後方で転んでいた女は立ち上がると、鬼の形相で運転席の
ブライキンに歩み寄った。

「あんた! 危ないじゃない!」

ブライキンは悪びれた風もなく女の眼も見ずに謝る。

「すまんな」

刹那
女がブライキンの胸元を引っ掴みジープから引きずり降ろすと、ブライキンの
顔面めがけて拳を叩きこんだ。
まさか、女が殴りかかってくるとは思わない。防御もとれずブライキンはただ
宙を舞うしかなかった。
ブライキンが吼える。

「痛ってなあ! このクソガキ!」

女も凄味を効かせる。

「なめんじゃないよ! クソジジイ!」

「なんだとう!」

以前にも似たような場面があったような気がする。女を怒らせるのは天下一品
である。例の如くレイが制するはめになる。
助手席を駆け下りるとすぐさま二人に間に割って入る。

「やめなさい! 二人とも!」

二人は睨み合い憎悪は増すばかりである。
レイも堪忍袋の緒が切れたのか我を忘れて怒鳴り出した。

「ブライキン! あなたはいつもこうだ! いい加減にしなさい! どれだけ
人を不愉快にさせれば気が済むんです! 皆、命がけなんですよ!こんなこと
では作戦の成功はおろか、全滅だってしかねない! 事の重大さが分かってい
るのですか! 今は一人でも仲間がいる! 協力者が! モヨケイの場所さえ
確定出来ずにいるのに! あれさえ手に入れば我らスペースノイドに未来があ
る! 真の平和さえ手に入れられるんですよ! こんな偽りの世から人類が真
の理想郷に辿り着くことさえ可能なのに! ……それをあなたは! どういう
つもりなんですか! ブライキン!」

あの冷静沈着なレイ・ミマの取り乱しように、二人共我が目を疑い冷静になら
ざるを得なかった。

「こんな事なら、あなたに話さなければ良かった」

レイは、ため息混じりに大きく深呼吸をすると一言だけ残しその場を後にした。
そこに残された二人は静寂の中にレイの足音と小さくなって行く彼の後姿をた
だ呆然と見続ける事しか出来なかった。
体が動かなかった。
その数分二人は呼吸さえ忘れていたかのように。
人形のように。
身動き一つ出来ないでいた。
幾分の時が過ぎたのだろう、呪縛から解き放たれたようにやっと二人の口から
言葉が流れだした。

「悪かったな」

「ごめん。私のほうこそ、いきなり殴ったりして、ごめん」

「すまん」

「私はリアン・フェルナンデス、リアンって呼んでくれていいよ」

「ああ、俺はブライキンだ」

「知ってるよ。あんたの話はレイ様から良く聞かされてたから」

「そうか」

「うん。とりあえずレイ様に謝りに行こうよ」

二人は、レイの後を小走りに追っていった。

リアンに案内されて、レイとブライキンが居る場所には、何人ものエンジニア
が所狭しと作業をしていた。
そこに見慣れぬモビルスーツ(人型機動兵器)が三機あった。
三人に気がついたのかエンジニアの一人が歩み寄ってきた。

「レイ様、ごくろうさまです」

「マイ、どうですか?」

「はい、レイ様。最終チェックはあと一時間程で終わります」

「ありがとう」

レイは年下であろうマイに深々と頭を下げた。

「レイ様、やめて下さい。僕は僕の仕事をまっとうしただけです」

リアンがエンジニアのマイの腹部に拳を軽く当てウインクをした。

「やったね、マイ」

「そうだね、すばらしい仕上がりだよ」

レイ、リアン、マイの三人は、白銀と紺碧のパターンに塗装された三機並ぶモ
ビルスーツを感慨にふける思いで見上げた。
この場所に入った矢先からブライキンは、あっけに取られた様子で、そのモビ
ルスーツに釘付けである。彼らの会話すら耳に入ってこないようだった。
マイへの挨拶さえ忘れているブライキンは開口するや否や、モビルスーツの名
前を聞いた。

「名前は? ……すげえな、おい。……これはなんてモビルスーツだよ?」

「これですか? コイツの名前はガルバルディです。ゲルググとギャンの性能
を合わせ持つ局地専用MSです。出力は」

ブライキンはおもちゃを与えられた子供のようにはしゃぎながら彼マイの言葉
をおしのけた。

「実戦配備はされてないんだろ?」

「え、ええ、もう少し戦闘が長引いていれば間に合ったかもしれないですね」

「しかし、よくもまあ連邦に見つからなかったもんだな」

「珍しくはないですよ、ブライキン中尉。連邦もコロニーすべてを調べられた
わけじゃないですから」

「ああ、そりゃそうだろうけど」

レイが静かに話しかける。

「ブライキン、どうですか? 気に入ってもらえましたか?」

「ああ、早く動かしてみたいな」

「そうですね」

レイは得意げにげに微笑んだ。

「ブライキン中尉、とりあえずはシミュレーションで我慢して下さい」

マイが言った。

「おお。…………ああ……」

――こいつで俺は、地球に下りんのか

ブライキンは初めて見るモビルスーツに心を躍らせたようだった。


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