侍女に抱かれミネバは泣きつかれて眠っていた。ついさっきエゥーゴの進入者
がミネバを拉致しようとした大騒動があったのだ。イリアにとっては好都合、
いわば絶好のチャンスなのだ。あんな事があった後だからこそ、ハマーンは油
断している、まさかミネバの拉致が二度も続くとは思ってもみない。
――シャアは、〔モヨケイツーの剣〕に味方されている。
イリアはそう考えると自分がシャアに附いていくことが正義だと確信できた。
イリアは、ミネバの部屋を見張る護衛の者にハマーンからの命令により来た事
を伝え、何事もなく、すんなりとミネバがいる部屋の扉を押し開けた。扉が閉
まると同時に、侍女が、ミネバを起こさない為か、外の護衛に聞かれないよう
にか、声を押し殺し言った。侍女の目は潤んでいる。
「イリア様! 遅すぎます!」
しかし、壁と扉の材質は厚く出来ている為、そうそう大きな声を立てない限り
部屋の外には聞こえる筈もない。イリアは普通に喋った。
「すまない。まさか、エゥーゴの、ガンダムのパイロットが来るとは!」
「ミネバ様は眠っています、今のうちに」
「よし! だが、眠ったミネバ様を抱いていくのは無理だ。出来れば起こせ!」
このへんは、イリアならではのワガママ発言である。
「無茶です! ミネバ様がよけいに動揺します」
「大丈夫だ」
そう言うと、イリアは、胸元から一枚のディスクを取り出すと正面のテーブル
の上に置かれてあるディスク・プレーヤーに挿しこんだ。するとそれに備え付
けられたモニターに旧ジオン軍の軍服を着たシャアの姿が映し出された。マス
クもサングラスも着けていない、素顔だ。そして、プレーヤーに内臓されてい
る小型スピーカーからシャアの声が流れ出した。
「ミネバ様、御久し振りに御座います。ミネバ様を御向かいにあがりました。
この者を信じて私の元へお越し下さい。シャアはミネバ様を悲しませはしませ
ん。ミネバ様、会えるのを楽しみにしています。」
「シャア?」
ミネバが呟いた。シャアの映像がモニターに映し出された瞬間、偶然にも目を
覚ましていたのだ。これも、シャアの力なのか、いやニュータイプの力なのか。
「ミネバ様!」
侍女が驚き、説明しようとした瞬間、侍女の手を跳ね除け、プレーヤーに跳び
付いた。幼い両手がしっかりとそれを掴みモニターを覗き込む。
小さい指先がプレイボタンを押すと、シャアが再度、語りかけた。
ミネバはみるみるうちに愛くるしい笑顔になった。そして、力強く侍女に言う。
「わかった、わたしはこのものについてゆく」
なんと、聞き分けが良いのか、たった数秒の映像で事の次第を理解したのであ
る。先程まで泣きじゃくっていた子供が。
イリアは、これがシャアの力かと感心した。
それからイリアは、扉を開き二人の護衛兵を呼び出すとミネバをハマーンの元
へ御連れすると言い、護衛兵には官邸の警備にあたるよう言いつけた。護衛兵
は何の疑問も抱かずイリアの言葉に従順した。
それから、廊下に誰も居ないのを確認する。
「それでは、ミネバ様、行きましょう。後の事は頼んだぞ」
そう侍女に言うとイリアはミネバの手を引いて、部屋を後にした。
部屋を出る際、ミネバは、侍女が一緒に来ない事に少しだけ駄々をこねたが、
侍女もミネバの荷物をまとめたら、後から必ず行くとの約束に納得した。
コア3から、リゲルグを離脱させてから、イリアの膝の上、ミネバはシャアの
事ばかり話していた。
「シャアは、やさしいのだぞ!はやくシャアにあいたいな。はやくあいたいな」
イリアはため息を吐き、心の中で呟いた。
――私だって会いたいよ。
と。
真紅のMSリゲルグはそれぞれの想いを乗せて、ハマーン・カーンの元、コア
3を去って行くのだった。
屈辱
「何、ミネバ様がいないだと!!」
旧ジオン派は、いよいよ、サイド3の空域にまでアクシズを推し進めていた。
ハマーンは、ミネバを連れ、コア3を離脱しようとしていたが、時すでに遅し、
イリアの裏切りによってミネバは連れ去られたのである。
「貴様! 何をしていた!」
ハマーンは、侍女を怒鳴りつけた。
「イリア様が、ハマーン様の命令でミネバ様を安全な場所へ御連れすると……」
イリア。ハマーンはその名前を聞いて驚愕した。言葉が出ない。深遠の闇がハ
マーンを包みこむ。
――イリア・パゾムめ!!
心の中で呟いた瞬間ハマーンはその怒りのやり場をなくし、その場に膝からペ
タンと崩れ落ちた。正座というより女子独特の座り方、爪先から脛、太ももの
内側、尻、すべては床に張り付き、両手の平は床に敷かれた真っ赤なジュータ
ンを剥がさんばかりに掴み、項垂れ、両肩は小刻みに震えている。そして美し
い髪の毛で隠された苦渋の横顔その瞳から、大粒の水滴が膝の上を流れ床を濡
らし始めた。これには侍女、側近の者も驚いた。あの気丈なハマーンがである。
何分たっただろう。この異様な光景にすべての者の時間は止まっていた。
――シャア……。
ハマーンの怒りはもはや言葉にならない。
それは、確信になった。ミネバを連れ去って行くことはミネバを寵愛していた
者すなわちシャアの仕業である。ここで普通ならグレミーの策略だとハマーン
派の者は思うだろう。しかし旧ジオン派は別としてグレミーにとっていまや、
ミネバなど邪魔な存在でしかないのだ。愛する男にしてやられたのである。シ
ャア・アズナブルに。そして衝撃的な事実、イリアがシャアの密偵だったのだ。
グリプス戦役前、イリア・パゾムが、シャアのお気に入りのニュータイプであ
る事に嫉妬する時期があった。しかし、シャアがアクシズを離れたことでイリ
アへのそれは消え、なによりイリアの自分に対する忠誠心はそれを微塵も感じ
させなかった。しかし、イリアは愛する男と繋がっていたという現実。ここに
はアクシズの指導者ではなく、愛する男に裏切られた一人の女としてのハマー
ン・カーンしかいなかった。
――私はシャアの為に……シャア……。
心の中でシャアを呼ぶ。
事実、ハマーンがしようとしていることは、すべてシャアの受け売りである。
ジオン、すなわちスペース・ノイドの樹立そしてニュータイプへの覚醒である。
それが確立されれば、シャアを捜し、指導権を譲る覚悟でいた。なにより、未
だ愛している、自分が素直になれば、また愛してもらえる。そう信ずるからこ
そ、ここまでやってこれたのである。
ハマーンはゆっくりと立ち上がると、その場にいる者には何も言わず、執務室
に繋がる廊下の壁を支えにするかのように片手を滑らせ、おぼつかない足取り
で歩いて行った。
残された者達は、只、呆然とハマーンの後姿を見送るしかなかった。
それから、何事もなかったかのようにハマーンの毅然とした態度は戻り、影武
者のミネバを連れ、旗艦であるグワンバンに乗り込むとコア3を後にするのだ
った。