12月も残り10日あまりとなったある日、 奈良県は上牧町のとある場所。 「スピカ!いつまで寝とんねん!」 怒鳴りながら勢いよく入ってきたのは、 白装束に身を包んだ少女、役小角奈(えんのおづな)。 「今日は12月20日や、伯母ヶ峰の見回り行かなあかんやろ! アイツもう飛び出していきおったで」 「ふわぁぁ…ムニャムニャ 一年に一回くらい自由に走り回らせてあげたらいいじゃん。 っていうか、こんな寒い日にあんなとこ通るの、よほどのバカしかいないよ?」 毛布に包まり起きる気が全く無い少女、スピカ・スカイユ。 「12月20日やて知らんと山に入るアホがおるさかいなぁ」 「小角奈行ってきて…ボク眠い。 昨日もバカ大佐に付き合ってたら朝になっちゃったんだから。 …ムニャムニャ」 みるみる頭が隠れていき、今にも眠り込みそうな声だけが 布団越しに聞こえてくる。 「今年は葛城プリン祭りがあって、わっち忙しいねん。 アイツがアホしでかしたら、退治せなあかんようになるの知ってるやろ?」 「グゥー…スピー…」 「…しゃあないなー、安杜姫月(やすもりきづき)に頼むしかないなぁ…チラ」 布団の山がピクリと動く。 「何?姫月!?」 「一本ダタラVSヤマタノオロチ無制限一本勝負、オモロイやろうなぁ…チラ」 布団が跳ね上がり、スピカが飛び出してきた。 「ダメダメ!姫月なんかに任せたら、アイツのヘマがだたらっちのせいになっちゃうよ! あぁもう!わかったよボクがお守りに行けばいいんでしょ!」 「そんなかっこで寝とったんかいな、風邪ひくで…ププ」 思惑通りのスピカの反応に笑いを隠せない。 「伯母ヶ峰はたぶん雪積もってるから、暖かい格好していきや」 「毎年行ってるんだから、それくらい分かってるって」 「ほなよろしくな?。あ、大佐も風邪引きそうやったで?」 バタバタと服を着て仕度するスピカを尻目に、小角奈は出て行った。 「弾は10発もあれば充分だよね、よし準備完了!」 勢い良く階段を駆け下りる。 「もうバカ大佐、お店の鍵かけずに寝ちゃうから、 小角奈が入ってきたじゃん」 1階はスピカがバイトしているバー「M-base4」 店のソファに軍服の男がいびきを立てて転がっている。 「開店までには戻りまーす」 大佐と呼ばれるその男に毛布をかけ、 アカンベーをしながら敬礼し、店を出ようとした時。 「おーいスピカ」 「って、起きてたんだバカ大佐!」 「これ持ってけ」 「何ですか?」 「その時がきたら分かる」 「はいはい、じゃあ行ってきま〜す」 バタン! 「なんだこりゃ?」 大佐から渡された小さな包みをリュックに入れ、店を出る。 辺りはまだ暗く、町は静まり帰っている。 吐く息も白くバイクにまたがると、 稜線が明るくなりだした吉野の山並みに向かって走っていった。 「ふぁぁ…お門姉さんまだ着かないの?」 助手席で眠りこけていた紫髪の少女、藤代すみれが目を覚ます。 「見て見て!雪が積もってるよ!すごーいすごーい!」 セミロングの髪についた寝癖も気にせず、雪景色にはしゃぐ。 「ふぁぁ…あたしゃさっきからずっと見てるわよ。 もうそろそろ着くんじゃないかしらね?」 欠伸がうつり眠そうにハンドルを握りながら 適当な返事を返す女性、発心門もみじ。 藤代が柿の葉寿司を食べたいと言い出したのは数日前。 しかも地元和歌山ではなく、奈良のものが食べてみたいらしい。 雑誌か何かで読んだのだろう。 柿の葉寿司とは、和歌山県紀北地域から奈良県吉野地域にかけて 親しまれている郷土料理だ。 言いだしっぺのくせに寝ぼけ眼の藤代を車に押し込み、 まだ暗い早朝に和歌山市を出発。 京奈和道路を経て国道169号線を南下。 車を走らせて3時間になろうとしていた。 道中藤代は助手席で眠りこけていた。 「もしかして道に迷ってる?」 「さぁどうだろう?走ってたらそのうち着くわよ?ふぁぁ…」 発心門の欠伸が止まらない。 早朝から長距離の運転で、集中力が低下しているようだ。 「お門姉さん眠そうだよ?いっぷくしようよ、危ないよ?」 「そうね、これを抜けたら車を停めて休憩しようか」 峠道の長いトンネルに入る。 と、前方に一灯のヘッドライトが光っている。同じ車線上だ。 動く気配がなく、どんどん距離が縮まっていく。 「オートバイ?何考えてんのアイツ、危ないわよ!」 パパーン!! クラクションを鳴らしパッシングするも、 避ける気配がないどころかこちらに向かって走り始めたようだ。 発心門の眠気が吹き飛ぶ。 「藤ちん足踏ん張れ!!」 慌ててギアを落としブレーキを踏み込む。 タイヤが悲鳴を上げる中、光は急速に迫ってくる。 「ぶつかるよぉーっつ!!」 藤代が叫んだ瞬間、光は衝突寸前で飛び上がり、 ドスン!!と鈍い衝撃音を残して消えた。 トンネル内にエンジンのアイドリング音だけが響いている。 「大丈夫か?藤ちん」 「だ、大丈夫…怖かったぁ」 「何なんだ今のは?」 発心門が車を降りて見ると、ボンネットに巨大な窪みができている。 バンパーに損傷は無く、上から踏みつけたもののようだ。 「巨大な足跡?人間にしては大きすぎるわね」 「なんだったの?」 恐る恐る降りてきた藤代もボンネットを覗き込む。 「わわ、すごい大きい人だね!もののけさんの臭いがする」 「そうね、恐らくもののけの仕業よ。 だとすればこれは…一本だたらの足跡ね」 「えっ?!一本だたらさんがいたの?」 一本だたらとは、奈良や和歌山の民話に登場する、 一つ目一本足の妖怪である。 「ヘッドライトだと思ったのは、巨大な目に反射した光だったのね。 あ…てことは伯母ヶ峰まで来ちゃったかぁ…」 伯母ヶ峰は柿の葉寿司を扱う店舗より、ざっと一時間は走った所にある。 「お門姉さんボーっと運転してたから、 お寿司屋さんに気付かなかったんでしょ!」 「グースカ寝てた藤ちんに言われたくないわよ」 「一本だたらさん、トンネルで何してたんだろう?」 「アイツは12月20日だけ伯母ヶ峰に現れて、 山に入る旅人を襲うと言われているわ。 だからこの地域では厄日とされているの」 「踏んずけていったねぇ」 「襲おうと思ったけど車に驚いて逃げたってとこか。 クッソぉ…道間違えるわ車踏まれるわ、ホント厄日だわ」 発心門が爪を噛み始める。 「お…お門姉さん、ちょっと落ち着こう?」 発心門が綺麗に手入れしている爪を噛み始めると、 ロクなことにならないのを知っている藤代がなだめる。 「一本だたらめ、とっ捕まえて修理代請求してやる!」 藤ちん早く乗って!アイツ追っかけるわよ!!」 「え、えぇー…」 ギャキキキキ!! 再びタイヤが悲鳴を上げ、 トンネル内に白煙を充満させながら走り去った。 上牧町から走ること2時間。 伯母ヶ峰トンネルの手前でバイクを停め、 雪が積もった山道を登るスピカ。 「うー寒っ!今日は帽子が無いから頭が冷えるなぁ… アイツどこ走り回ってるんだろ?」 既に太陽は昇っているものの、切り立った山に囲まれているゆえ、 陽が当たらず冷気が滞っている。 山腹まで登るとリュックから一丁の自動拳銃を取り出し、 弾装に10発の弾丸を込め始めていると… ギャキキキキ!! 下のトンネルからけたたましいホイルスピンの音が聞こえてきた。 「朝っぱらからどこのバカヤンキーだよ。 まぁこんな雪山には登ってこないよね。 そうだ、夕方まで入之波(しおのは)温泉で時間潰そっかな。 小角奈にはバレないよね♪」 ズザッ!! 背後で物音がした。 「うわゴメン!ちゃんと見張るから!」 拳銃を構えつつ振り返る。 「っと、小角奈じゃない?」 ズザーッ!!ザンッ!! 突然木立の間から黒い影が飛び出し、回転しながら頭上を飛び越える。 影の中に大きな目が開きスピカを一瞥した。 巻き上げた雪の塊が降り注ぐ。 「だたらっち!!」 前方に着地したそれは、身長3mはあるだろうか。 白装束から突き出した逞しい二本の腕は、 巨大な鎚をさも軽そうに携えている。 一見普通の大男に見えるが、衣の裾から突き出した太い足は一本のみ。 そしてスピカを振り返った顔は、半分以上を占める大きな目が見開き、 口の端からは牙が覗いている。 妖怪一本だたらだった。 雪に光る染みが点々と落ちている。 一本だたらの足に目をやると、光は踝から流れていた。 「お前、怪我してるのか?」 躊躇ったように一つ目が動いたが、 すぐに飛び上がり宙返りを繰り返しながら木立の間に消えた。 「だたらっち止まれえっ!!何しでかした!」 追いかけて走り出すが、藪に阻まれて思うように進めない。 「くそっ誰か山に入ろうとしたのか!?温泉プランが台無しだよ! バカ通行人はボクが始末してやるんだから!!」 勇ましい音を立てて走り出した発心門の車だったが、 トンネルを出たところでボンネットから蒸気が吹き上がり、 視界が見えなくなった。 水温計を確認した発心門は、道端に車を停める。 「わわわ!お門姉さん逃げよう!爆発しちゃうよ!?」 藤代が慌てて飛び降りる。 「ラジエータまで踏み抜かれていたか…大丈夫よ爆発はしない。 けど応急処置しないと。峠を降りられなかったら遭難だわ」 「そうなん?」 冗談なのか天然なのか判らない藤代の問いかけはスルーして、 エンジンを冷やす雪を集め始める発心門。 何かブツブツ呟いている。 「一本だたらめ、こうなったら新車買わせてやるんだから。 金が無いならきっちり働いて返して貰うからね!」 「うわわーお門姉さんマジ怒ってるよー…」 作業する発心門を余所目に、車の周りをうろつく藤代。 「でも一本だたらさんって大きくて怖いけど 人に危害は加えないって聞いたんだけどなぁ… 熊野では足跡しか見たこと無いから会ってみたいなっ」 少し離れたところにバイクが一台停まっている。 雪が積もっていないところをみると、今朝停められたようだ。 「こんな日に山に登る人いるんだぁ!よっぽど山が好きなんだねっ」 バイクに近づくと道端に小さな沢があり、丸太橋が掛かっている。 橋の上の雪には大きな窪みがついていた。 「一本だたらさんの足跡!丸太橋を渡っていったんだ!」 よく見ると窪みの中に光る染みがついている。 「大変!さっき踏んずけた時に怪我したんだ!」 ふと気になって車の方を振り返る。 発心門は背中を向けてボンネットを開けようとしている。 藤代の発見には気付いていないようだ。 「お門姉さんに見つかんないうちに、 一本だたらさんを探して癒してあげなきゃ!」 国道を外れ山道に入り、恐る恐る丸太橋に足をかける。 「雪が積もってるのに一本足で上手に渡るんだなぁ 気を付けて渡んなき…」 ズルドテッ!ザシャ! いきなり丸太橋から滑り落ちる藤代。 物音に振り返る発心門。 「おーい藤ちん、車に積んでるテープ取って… ってあれ?どこ行った?」 「ご、ごめんお門姉さん、ちょっと…痛っ! お、おトイレ探してくるー」 姿は見えないが藤代の悲痛な声が聞こえる。 「ああゴメンゴメン!ゆっくりしといで! 一本だたらに気をつけるのよ!」 こんな山中に公衆トイレなんてあるのか?という疑問が湧いたが、 そこは突っ込まないのが心遣いと、発心門は作業に戻った。 一本だたらの足跡は、かなりの間隔を開けて続いていた。 「いち、にい、さん、し…」 藤代は自分の歩幅で何歩分あるか数えながら進んだ。 「じゅう!一本だたらさんの一歩って大きいんだぁ」 ひとしきり雪道を登った藪の影に一本だたららしき頭が覗いていた。 屈んでいるのか身長が低い。 逃げられないように背後から忍び寄る藤代。 「だたらさんみっけ!」 飛びつこうとした瞬間、頭が消える。 不意に手を捉まれると同時に勢いよく引っ張られ、 後ろ手で雪面に押し倒される藤代。 ゴリ… 後頭部に冷たく硬い物が押し付けられ、よく通る澄んだ声が響いた。 「お前何者だっ!所属と階級を言え!」 「うぃぃおうぃえ!」 顔が雪に埋もれて何を言っているのか分からない。 髪を引っ張られ顔が雪から離れる。 「藤代すみれ16歳っ!」 「年齢は聞いてない…て、え?キミ女子高生?何でこの山に入った」 「一本だたらさんを探してるの!怪我してるの!」 後ろ手に掴まれていた手が離された。 自由に動けるようになった藤代が身を起こし振り返ると、 拳銃を構えた少女が立っていた。 「あれ?一本だたらさんじゃないの?」 「って、テッポウよりそっちに驚くのね。よく見てよ、足二本あるじゃん!」 「おかしいなぁ?一本だたらさんの頭に見えたんだけどなぁ」 「あれ?今日はアイツ被ってないのに 気配が染み付いちゃったのかな…ショック 妖怪が見えるの?えっと…16歳の?」 「藤代すみれ!もののけさん見えるよ?あなたも?」 「すみれちゃんか。ボクはスピカ・スカイユ…だたらっちのお守り役なんだ」 警戒を解いて構えていた銃を下ろすスピカ。 「だたらっちに会ったの?」 「トンネルの中で載せてもらってた車踏んずけられて、 一本だたらさん怪我しちゃったから、癒してあげないと…」 「すみれちゃんヒールできるんだ。 だたらっちは平気だし、人にちょっかい出したいい薬だよ。 一緒に乗ってた人もケガは無かった?」 「うん、ケガはないんだけど…」 バキバキバキッ! 遠くで枝が折れる音がした 「だたらっちが山を降りようとしてる!」 「車が壊れたからいま直してるんだ」 「怪我の仕返しに行くつもりか?!止めなきゃ!」 雪道を走り出すスピカ。 重そうなコンバットブーツを履いているにも拘らず、 風のように雑木林を駆け抜けていく。 走りながらスピカが振り返ると、すぐ後ろに微笑む藤代の顔。 「おっすみれちゃんついてこれるんだ」 「えへへーかけっこは得意だよー。 あ!岩の向こうにもののけさんの気配!」 走りながら拳銃を構えるスピカ。 「一本だたらさんを撃っちゃうの?!」 驚いて藤代が呼びかける。 シーッという仕草をして岩陰に張り付くスピカ。 「大丈夫、封印された姿に戻すだけだよ。 シムニッションっていうペイント弾に聖水が入ってるんだ。 こいつをだたらっちに撃ちこむ。すみれちゃんはここに隠れてて」 リュックを藤代に預け、小さな窪みを手掛かりに音も無く岩を登るスピカ。 「う、うん。気を付けてね?」 見上げながら不安げに頷く。 岩の上に達したスピカはコンパクトを取り出し、鏡で下の状況を確認する。 一本だたらは岩の下で屈んでいた。 「怪我した足で飛び跳ねたから傷が悪化したのか?自業自得だね」 スピカが岩の上から飛び降りる。 気配に気付き頭上を仰ぐ一本だたら。 「だたらっち!今年の散歩はここで終わりだよ!」 ズザッ! バスッ!バスッ! 一本だたらは横っ飛びに身をかわす。 斜面に着地すると同時に発砲するスピカ。 ザッ! バスッ!バスッ! またもや身をかわす。 発砲する直前に跳躍しているようだ。 「ちっ!毎年やられてるから反応速度が上がったか。 でかい目で銃口の向きを予測してるやがる…」 素早く周囲を見回し、頭上の枝でふと目を止める。 銃口を一本だたらに向けたまま、岩陰の藤代に駆け寄る。 「一本だたらさん、でっかいのにすばしっこいんだね!」 何故か目を輝かせながら熱っぽく語る藤代に、 リュックから取り出したゴーグルを渡す。 「すみれちゃん、これかけてくれる?」 「わぁ!スキーみたい」 「あとこれ持ってて、こんな風に手を高く上げてね」 ゴーグルをかけた藤代の手を持ち上げ、コンパクトを握らせる。 ずっしりと重く冷たい金属製だった。 「何かの儀式なの?」 片膝をつき銀色に光るコンパクトを高く掲げる恰好は、 祈りを捧げるシャーマンのようだ。 「儀式といえば儀式かな?」 スピカが真剣な面持で向き直る。 「いい?何があってもすみれちゃんの安全は保障するから、 絶対これを持っていてね、ボクを信じてくれる?」 「うんいいよ?スピカちゃんを信じるよ?」 「ありがと!」 両手を上げたまま微笑む藤代の頭を撫で岩陰を出る。 一本だたらに向かって歩きながら話かける。 「だたらっち、お前の足を怪我させたのは、あの子か?」 奇妙な恰好でしゃがむ藤代を見やる一本だたら。 「そうなんだね?じゃあボクが懲らしめてあげるから、しっかり見ておきなよ」 藤代に向かって伸びたスピカの右腕には、拳銃が握られていた。 一本だたらは警戒して銃口と藤代を交互に見る。 「え?あ…あれ?あれ?スピカ…ちゃん?」 状況が飲み込めていないが、自分が標的になっていることは雰囲気で分かる。 ゆっくりと安全装置を外すスピカ。 「こらぁ!藤代すみれ!こんな日に伯母ヶ峰に入って!許さないんだから!」 「え?うそ?えええ?!」 バスッ! チュイーン! スピカの放った弾丸は、藤代の持つコンパクトに命中する。 手に重い衝撃。 「いったぁ!スピカちゃんごめんよぉぉ!」 「謝ったっておそいんだから!!」 バスッ!バスッ! チュイーン!チュイーン! 続けざまに発砲する。 弾丸は全て正確にコンパクトに命中する。 一本だたらは物珍しげに藤代を見ている。 「ごめんよぉぉ!今度なれずしあげるからぁぁ!」 「許されると思ってるの!!これで終わりよ!!!」 バスッ!バスッ!バスッ! チュイーン!チュチュイーン! 一本だたらが足を踏み出そうとした瞬間 ミシッ… ボトッ! 一本だたらの頭上に何かが落下した。 大きなアケビの実に、コンパクトから跳弾した6発の弾丸がめり込んでいた。 アケビが一本だたらに触れた瞬間、実にめり込んでいた弾丸が光り輝き、 アケビもろとも弾け飛んだ。 弾から零れた聖水が顔面を幾筋も流れ落ちる。 異変に気付いた一本だたらは頭を振り払おうとするが、 巨大な一つ目がさらに見開き、次の瞬間シュワシュワと縮み始める。 ものの数秒ほどで帽子となって雪の上に落ちた。 「すみれちゃん!ごめんね!うそだから!」 拳銃を放り投げ、両手を上げるスピカ。 「…はへ?」 「怒ってなんかないから!だたらっちに当てるためだったの!」 「あ…あは、あはは…」 未だコンパクトを頭上高く掲げたたまま、 引き攣った笑いを浮かべる藤代。 「怖かったよね?もうこれ離していいからね?」 スピカが駆け寄り、コンパクトを握りしめたまま 固まっている藤代の指をほどく。 「怖かったよぉぉ…手がジンジンだよぉぉ」 「ボクを信じてくれてありがと!」 ゴーグルを外してやり、藤代を抱きしめる。 「うん」 先程まで巨大な一本だたらだった、グリーンの帽子を拾って被る。 「全弾使っちゃったの初めてだよ… 来年からだたらっちのハウスの方法考えなきゃね」 「一本だたらさん、帽子だったんだ!」 グリーンの生地に赤い一つ目がついている。 耳のような二つのとんがりは可愛くも見え、 これが巨大な一本足の妖怪だとは俄かに信じがたい。 「うん、封印して私がお守りしてるんだ。 でも一年に一回、12月20日だけは 伯母ヶ峰で自由にさせてあげるって約束なんだよ。 悪さをしないっていう条件つきだけどね」 「そっか、だから普段は見かけないんだね。 お話してみたかったなぁ、一本だたらさんと」 「うちに遊びにくるといいよ、特別に封印解いてあげるから」 「わぁ!じゃあみんなで遊びにいくね!」 話しているうちに国道が見下ろせる高台まで降りてきた。 発心門はまだボンネットを開けて作業をしていて、 降りてくる二人には気付いていないようだ。 「お門姉さん、まだ車治らないのかな?」 「すみれちゃんの姉さん?」 「えっとね、お姉さん的存在の人、怒るとこわーい… あれ?何だろう?もののけさんの気配が…」 違和感を感じた藤代がふと足元を見ると、 後ろを歩くスピカの影が藤代を通り越して前まで伸びている。 恐る恐る振り返ると帽子が天高く伸びており、 その先には巨大な一つ目が見下ろしていた。 「スピカちゃん帽子!?」 「え?」 ヒュンッ!! スピカの帽子…だったものが舞い上がり、 宙返りして斜面に落ちると一本だたらの姿に戻っていた。 「ちっ!跳弾した聖水じゃ少なすぎたかっ!」 「わぁ!一本だたらさん復活した!」 一本だたらは辺りを見回し、 発心門の車を見つけると斜面を転がっていく。 ジャンプの距離が格段に伸び、動きも俊敏だ。 「だたらっち、足の怪我の割りに動きが良くなってる?」 「さっき私が癒したからかな…」 「すみれちゃん撃たれながらヒールしてたんだ!」 「治ったみたいで良かったね!」 無邪気に微笑む藤代に、スピカも引き攣った笑顔で応える。 「ありがとう、でもこれお門姉さんとやらが危なくね?」 「大変!お門姉さぁん!一本だたらさんそっち行ったよぉー! ダメだ気付かない!」 藤代はしゃがみこむと雪玉を作り始めた。 「スピカちゃんも手伝って!」 「何するの?」 「お門姉さんに気付かせなきゃ!」 ガチガチに固めた雪玉を大きく振りかぶった。 「まったく…腹は減るし寒いし眠いし!それもこれも一本だたらの…」 応急処置を終えた発心門がボンネットを閉めようとすると、 何やら背後が騒がしい。 「なんだ?藤ちん戻って…」 ボスツ!! 振り返った発心門の顔面を雪玉が直撃した。 「やったぁ気付いたっ!」 飛び上がって喜ぶ藤代。 「いや…あれ痛いと思うよたぶん…」 「痛ぇ…」 顔面に貼り付いた雪玉が落ちた時に見えたのは、 雪煙を上げながら斜面を転がってくる巨大な物体。 「ほぉぉ、車踏んだ上に雪までぶつけに来るたぁ…」 口の端を引き攣らせながら、ひくひくと笑う発心門。 「浄化じゃなく滅却のお願いってことでいいんだよなぁ!!」 山道の方へ歩きながらダウンのジッパーを下し、 セーターの襟首からおもむろに胸に手を差し入れる。 「はぁぁぁ…」 形相が強張ったかと思うと指を胸に突き立てた。 血が噴き出る代わりに青白い光が漏れる。 ズブズブと手首が隠れるまで差し込み、 何かを掴んでゆっくりと腕を引き上げる。 ズラァァ… 手には太刀が握られていた。 発心門の体内から現れた光る刃は顔をかすめて引き抜かれ、 片手で頭上に振りかぶった。 「お門姉さんダメ!だたらさんを斬ったらダメェェ!」 「だたらっち止まれ!チッ聖水弾があれば!」 沢の手前まで降りてきた一本だたらが、 発心門目掛けて飛び上がる。 ダンッ! 「破っ!!」 ヒュンッ!と太刀が振り下ろされた。 一本だたらが丸太橋に着地した瞬間、体が沈み込んだ。 橋が縦真っ二つに割れ、隙間に足が挟まったのだ。 足を抜こうと身を起こした鼻先に、刃の先を突きつける発心門。 「姐さんちょっとまったあ!」 峠の下から一台の大型バイクが駆け上ってきた。 「スピカ!大佐から預かっとるもんあるやろ!」 聞き慣れた声にハッとし、出掛けに手渡された包みを開ける。 「擲弾?!…これシャボン玉容器だ。あ、そうか!」 すかさず、スピカはリュックに常備携行された ハンドグレネードランチャーを取り出すと、 液体を湛えた容器を銃身に差し込みながら崖を滑り下りる。 「飛鳥の野に慈しき母と、吉野の山に猛き父の名に於いて…」 スピカの体が仄かに光り、中空に曼荼羅が展開した。 凡字から光の粒子が溢れ、腕を辿って銃身に集まってくる。 「我、汝に永久の安らぎを授けん」 詠唱を終えたスピカの目が冷ややかに光った。 「清浄の滴に浴せ」 斜面を蹴って一本だたらの頭上を飛び越え、真下に狙いを定める。 バスッ!!…バシャァ!! 一本だたらの脳天に命中した容器から大量の液体が飛び散る。 シュアシュアシュア… 再び帽子に戻る一本だたら。 「な?年の瀬も近い寒い日にこんな山入るアホ、おるやろ?」 帽子を被って戻ったスピカをニヤニヤ顔の小角奈が迎える。 「すみれちゃんは悪くないよ、だたらっちの悪ふざけが過ぎたんだ」 「スピカちゃんのお友達?」 興味津々の藤代がニコニコしながら近づいてくる。 首を傾げてしばし考え 「友達ってワケじゃないけど…」 「ちゃうんかいっ!」 すかさず小角奈が突っ込む。 「寒いとこ大変やろ思て、マスター特製のコーヒー持ってきてあげたんやで」 香ばしい薫りを振り撒きながら水筒からコーヒーを注ぐ。 「じゃあ最初から小角奈がくれば良かったじゃん」 「アホ!ここはウソでも「友達思いやなぁ」ゆうシーンやろ!」 「その格好は山伏かしら?この聖水は…湯峰温泉の臭いがするわね」 シャボン玉の容器を手にして発心門が尋ねる。 「わっちは役行者や。 姐さん聖水が湯峰の湯やってようわからはったなー」 「湯峰はうちの地元だから。一本だたらの伝説に則ったのね」 小角奈が身を乗り出す。 「ホンマかー、ちょっと聞きたいことあんねんけど」 「…ねぇ?もうだたらっちはハウスしたんだしさぁ? コーヒー飲んだら続きは小角奈んち行って話そうよ」 「よっしゃ、まかしとき!マスターにあったまるカレーうどん作ってもらうわ そんでみんなでバケツプリンや!」 「わぁ!ぷりんぷりん!みんなで行こうー♪」 誰よりもプリンに反応した藤代が騒ぐ。 「車も直ったしお邪魔しちゃおうかしらね」 「ほな、わっちについてきてなー」 「おづなんち目指してしゅっぱーつ!」 静けさが戻った伯母ヶ峰には澄んだ青い空が広がり、 雪道の上に2台のバイクと車の轍が綾なす、組紐のような模様が続いていた。 それは同じ「世界」に暮らす、奈良と和歌山の歴史を継ぐ者達が、初めて出会った記念日だった。 <了>