第7話 M BASE4

月面都市フォン・ブラウンの酒場、ここはいつ来ても人々の雑踏の中にあった。
ルナリアンは、酒好きが多いらしく、所狭しとPUBやBARのネオンがひし
めき合い、体全体を包み込んでくれる。その一角に【MBASE4】と書かれ
たこれもまた鮮やかなBARのネオンの下に二人の人影があった。シャアとイ
リアである。AEを後にし、フランス料理のフルコースをこの近くで済ませて
きたところである。
二人は、その店の、木に彫刻を施した分厚い扉を開け、中に溶け込んでいった。
イリアはBARなる場所が初めてらしく、辺りをキョロキョロと好奇心旺盛な
眼差しで見入っていた。
店に入るとまず、コンクリート造りの仕切壁がある。その壁にカールスバーグ
なるビール商品のネオン管が眩しいくらいに輝き、コレを飲めといわんばかり
に訪れた者の網膜に焼き付こうとする。店内は暗めで、ブラックライトと蝋燭
の光が妖艶な雰囲気を醸し出している。右手の奥にスタンディングでも飲めそ
うな20人位が座れる高めのカウンターがある。左手には、生のバンドが演奏
出来る程のステージがあり、普段は生バンドがスローなJAZZを演っている
のであろう。今はそのステージの端に据えられたピアノの生演奏が耳に心地よ
い。そして、その前には、テーブルがいくつか並んでいる。まさにアダルトな
JAZZ・BARである。
イリアは、どうやらこの店の名前が気に入ったらしく、シャアに尋ねた。

「シャア、この店の名前って」

「イリア、その呼び方は良くない。今はエドワウでいい」

「あっ! そうでした」

月に着いてすぐ、シャアに呼び方を注意されたばかりなのに、もう忘れている。
よほど嬉しいとみえる。シャア・アズナブルは月で軍務以外の行動をするとき
はその名前を用いていた。

「エドワウ、エムベースフォー(MBASE4)って、四番目の月の基地って
意味でしょうか?」

「……? そういうふうにも、とれるな」

「えっ、じゃあ、違うのですか?」

興味津々である。

「バーテンダーに聞いてくるといい」

「えっ、でも」

「恥ずかしがらなくてもいい、解らないことは、何でも教えてくれる筈だ」

少し余裕が出てきたのか、食事の時のワインが酔いを誘ったのか、プレイボー
イ発動、シャアはイリアを困らせてみることにした。
イリアは当惑を隠せない足取りでカウンターに近づいた。

「すいません」

「いらっしゃいませ。何になさいますか?」

「えっ!」

イリアが店の名前の由来を聞く間もなくバーテンが問い掛けてきた。
定番である。バーテンダーおきまりの第一声である。シャアはこれを見透かし
てわざとイリアを行かせたのだ。酒の名前なんて、これっぽっちもわからない
イリアは、後ろの方で自分に微笑むシャアに救いを求めた。案の定イリアは赤
面している。バーテンもその事に気づいたのか、そう、後ろの男性が何もわか
らない女の子をからかったことにである。しかし、ここは水商売のプロフェッ
ショナル、イリアにやさしく話し掛けた。

「初めてですか?」

「はっ、はい」

緊張しまくっている。

「わからない事は、何でもお聞き下さい」

「はっ、はい」

イリアがバーテンに返事をするのと同時ぐらいにシャアもカウンターに近づい
ていた。

「マスター、私はセントニックの25年を」

シャアが愛飲しているバーボンウイスキー【オールド・セントニック25ye
ars】である。
名台詞にこれを片手に【坊やだからさ】は有名である。

「はい、かしこまりました、オーナー」

「えっ!」

イリアは驚きの声を漏らした。
そう、ここはシャアが経営する店の一つなのである。
昔からBARとは、地下組織の情報収集、交換の場所、そしてアジトとしては
もってこいの場所なのだ。そして、ここも例外ではない。
シャアア・ズナブルは軍人としてだけではなく実業家エドワウ・マスとしての
顔も持っているのだ。それが、シャアのコネクションを拡大していける要素で
もある。

「彼女には、キュベレイを」

「えっ!!」

イリア、三度目の【えっ!】である。
それもその筈、シャアが注文したカクテルの名前は、イリアも聞き覚えのある
MMS−3【キュベレイ】、アクシズで作られたハマーン・カーンの専用MS
の名前だった。

「シャァ! あっ! ……エドワウ、なに?」

イリアは訳が分からないといった感じでシャアを見つめた。

「ここは、私の店だ。内緒だがな」

キョトンとしているイリアを気にも留めず、シャアはバーテンに話し掛けた。

「彼は?」

「もうじき現れる筈です」

シャアは頷くとそのままその場所に腰を落ち着かせた。イリアも隣に座る。が
店の名前の由来の事など忘れていた。
ピアノの演奏による曲がここへ来てから五曲目を終えようとしている時、例の
彼は現れた。一瞬だが、店内の空気がピンと張り詰めた。
その感覚をこの拍手と歓声の中、何人がわかっただろう。
短く整えた金髪に、バランスの良いスタイル。後ろから見ると女性のような印
象をうける。顔立ちはこれにまた同じく中性的で、いわゆる美少年である。そ
れに体から滲み出るそれは、由緒ある家系を匂わせる雰囲気を漂わせていた。
まさに、おぼっちゃまである。
彼は、店内を見回すまでもなく、シャアとイリアの横、正確にはシャアの右隣
に立った。
彼もまた、この二人同様その力の持ち主なのか、直感でここへ来たのだ。
イリアは彼に対して特に反応を示す素振りは見せない。

――安全ということか。

シャアはイリアの反応をそうとった。

「お久しぶりです」

彼はハキハキした口調で挨拶すると、軽く会釈をし、そこに腰を落ち着かせた。

「何年ぶりか」

「もう、ずいぶんと昔のような気がします」

シャアと彼とは初対面ではないらしい。
彼がまだ10歳の頃にアクシズで一度、会っているのである。それは、ある社
交界で知人に彼を紹介をされた時のことだ。彼は相手が赤い彗星のシャアと知
って、えらくはしゃいでいたのをシャアは思いだし微笑した。

「君の事だ察しはついているのだろう」

シャアは前置きもなく、その彼に問い掛けた。
ピアノの演奏、六曲目が始まる。

「ここで、問題はないのですか」

彼の表情がおぼっちゃまから真剣な男の顔に変わる。

「ああ、構いはしないさ」

目線を彼からバーテンに移す。

「マスター」

バーテンは頷くと、さっきと同じ物を新しいグラスに注ぎ、静かにシャアと彼
の前に置いた。

「私からのおごりだ」

「いただきます」

シャアは、グラスを顔の前で傾け、乾杯する仕草をした。彼もそれに合わせる。
二人はそれを同時に口へ運ぶ。しかし、表情は変わっても内蔵までは変わらな
い。彼にはアルコールが強すぎたのか、むせながら彼は言った。

「ゴホッ、良くこんな物が飲めますね。僕には、無理です」

「ふっ、坊やだからさ」

シャアの口癖である。
それを見ていたイリアが、私は大人の女よと言わんばかりに、シャアのグラス
を艶めかしい手つきでするりと取り上げ、喉の奥に滑り込ませた。

「ゴホッ、ゴホッ」

イリアは咽せた。
バーテン、シャアそして彼はイリアの方を見てクスっと笑った。イリアは真っ
赤な顔をして、グラスをシャアの前に戻した。さっき迄の硬い空気は、イリア
のそれで一気に柔らかくなった。意図的になのか、さすがは天然ニュータイプ。

「月はどうだ」

「はい、なかなかいい所です。この何日か楽しませて貰いました。アクシズみ
たいな窮屈さがないですね」

「そうだな。私もそれが嫌で家出をした」

「い、家出ですか」

「おかしいか」

「……少し」

そんなたわいもない会話をしているシャアをイリアは横目で見ながら可愛いな
と思った。
この後、和んだ空気の中、会話は二時間あまり続き、彼グレミー・トトとの密
約は交わされたのである。
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